2011年02月27日
"CUORE" 『クオーレ』
それは数年前にフィレンツェの実家に帰省したときのことだ。
妻が古い本を見つけて騒いでいた。
どうしたのかと覗きこむと、そこには一冊の古ぼけた本を手にした妻の姿があった。
その本は昔から家にあったもので、今から125年前の1886年にEDMONDO DE AMICIS(伊:エドモンド・デ・アミーチス)によって書かれた"CUORE"『クオーレ』だった。

この本は日本で『愛の学校クオレ物語』というタイトルでアニメ化され、1981年4月から約半年ほど放送されていたようだ。
これはイタリアでも放送され、当時少年だったPIPPOも見ていた。
本書は1861年のイタリア王国成立(イタリア共和国)によって、愛国心を説いた子供向けの本として書かれたもので、10歳のエンリーコ少年が学校で過ごした日記が書かれている。舞台はトリノだ。
なぜトリノが舞台なのか。
エドモンド・デ・アミーチスは、イタリア北部の町オネッリア(1923年からはインペリア市)で生まれ、トリノで学び、トリノに暮らした。人生の大半をトリノで過ごしていたようだ。
そんな彼にとって『クオーレ』の舞台になったトリノは第二の故郷ともいえるだろう。
イタリア統一運動(リソルジメント"Risorgimento"(1815年~1871年))の際、主力となったサヴォイア家は、統一イタリアの首都をトリノに定め、そこに王宮を造った。
しかし第二次世界大戦後の国民投票により王制廃止が決定して共和制となると、サヴォイア家は国外追放を余儀なくされた。
統一イタリアの時代に育ったアミーチスは愛国者であったという。
彼にとってトリノは特別な街であったにちがいない。
この本を読むと、そんな彼の心の叫びを聞いているような気がしてならない。
≪ご参考≫
1861年3月に統一を成し遂げたイタリア王国は、1946年6月の国民投票で王制廃止が決定し、イタリア憲法により1946年5月に即位した王ウンベルト2世を筆頭にサヴォイア家全員が2002年までイタリアに入国を禁じられていた。
妻が古い本を見つけて騒いでいた。
どうしたのかと覗きこむと、そこには一冊の古ぼけた本を手にした妻の姿があった。
その本は昔から家にあったもので、今から125年前の1886年にEDMONDO DE AMICIS(伊:エドモンド・デ・アミーチス)によって書かれた"CUORE"『クオーレ』だった。

この本は日本で『愛の学校クオレ物語』というタイトルでアニメ化され、1981年4月から約半年ほど放送されていたようだ。
これはイタリアでも放送され、当時少年だったPIPPOも見ていた。
本書は1861年のイタリア王国成立(イタリア共和国)によって、愛国心を説いた子供向けの本として書かれたもので、10歳のエンリーコ少年が学校で過ごした日記が書かれている。舞台はトリノだ。
なぜトリノが舞台なのか。
エドモンド・デ・アミーチスは、イタリア北部の町オネッリア(1923年からはインペリア市)で生まれ、トリノで学び、トリノに暮らした。人生の大半をトリノで過ごしていたようだ。
そんな彼にとって『クオーレ』の舞台になったトリノは第二の故郷ともいえるだろう。
イタリア統一運動(リソルジメント"Risorgimento"(1815年~1871年))の際、主力となったサヴォイア家は、統一イタリアの首都をトリノに定め、そこに王宮を造った。
しかし第二次世界大戦後の国民投票により王制廃止が決定して共和制となると、サヴォイア家は国外追放を余儀なくされた。
統一イタリアの時代に育ったアミーチスは愛国者であったという。
彼にとってトリノは特別な街であったにちがいない。
この本を読むと、そんな彼の心の叫びを聞いているような気がしてならない。
≪ご参考≫
1861年3月に統一を成し遂げたイタリア王国は、1946年6月の国民投票で王制廃止が決定し、イタリア憲法により1946年5月に即位した王ウンベルト2世を筆頭にサヴォイア家全員が2002年までイタリアに入国を禁じられていた。
Posted by pippo at 13:18│Comments(0)│アンティーク
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