2010年07月02日
鎌倉橋 ~神田~
PIPPOは週に数回、東京に出かける。
東京に行く日は、妻と一緒に帰ることにしているのだ。
そんな妻を迎えに行く途中にある普段何気なく渡っている橋。
真上に首都高が走り、本当に目立たない、地味な橋。
この橋の名前を「鎌倉橋」という。

実はこの橋には忘れてはならない歴史が刻まれていたのだ。
橋の欄干に目をやると、いたるところに第二次世界大戦の空襲時に受けた弾丸の痕が残っている。
昭和19年から20年にかけての米軍の空襲により、この辺り一帯は殆ど消失し廃墟と化したようだ。
こうした中、この橋は後世へ伝える貴重な戦跡として当時の姿のまま残されている。
数年前に「まちの記憶」と題した案内板が設置された。
何だろうと読んでみると、そこにはこう書かれてある。
”日本本土市街地への空襲が始まる”
「鎌倉橋欄干には、
1944年11月の米軍による爆撃と機銃掃射の際に受けた銃弾の跡が大小30個ほどあり、
戦争の恐ろしさを今に伝えている。」
66年前に、この地で実際に起きた出来事。
毎日何気なく渡っている橋。
静かに佇むその橋は、今日も私たちを見守ってくれている。
東京に行く日は、妻と一緒に帰ることにしているのだ。
そんな妻を迎えに行く途中にある普段何気なく渡っている橋。
真上に首都高が走り、本当に目立たない、地味な橋。
この橋の名前を「鎌倉橋」という。

実はこの橋には忘れてはならない歴史が刻まれていたのだ。
橋の欄干に目をやると、いたるところに第二次世界大戦の空襲時に受けた弾丸の痕が残っている。
昭和19年から20年にかけての米軍の空襲により、この辺り一帯は殆ど消失し廃墟と化したようだ。
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66年前に、この地で実際に起きた出来事。
毎日何気なく渡っている橋。
静かに佇むその橋は、今日も私たちを見守ってくれている。
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Posted by pippo at 22:03│Comments(0)│東京
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