2013年03月03日
水戸の卒業式!
昨日は、PIPPOがお世話になっている専門学校での卒業式だった。
PIPPOにとって4度目の卒業式だ。
妻も同席しての参列だった。
妻は、学校長式辞を拝聴させていただくために、校長先生のご厚意で年に二度ほど(入学式と卒業式)お邪魔させていただいているのだ。
今年の心に沁みるお話は、「忘己利他(もうこりた)」についてだった。
「「もう懲りた」ではないですよ」とは校長談。
これは平安時代の僧、伝教大師最澄(767-822)の「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」というお言葉で、「自分のことは後にして、まず人に喜んでいただくことをする、それは仏さまの行いで、そこに幸せがあるのだ。」という、ありがたい説法。
「つまり我欲が先に立つような生活からは幸せは生まれないよ」ということを説いているのだそうです。
もうひとつのありがたいお言葉は、
「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。
よき人に近づけば覚えざるによき人となるなり」
これは孤雲懐奘禅師が鎌倉時代初期の禅僧、道元禅師の説法を記した『正法眼蔵随聞記』の中にある一文だ。
「霧のなかを歩いていると、気がつかないうちに衣がしめっている。
魅力的な人に親しんでいると、いつの間にか自分も高まり深まり魅力が香ってゆく」
妻はこのお話を拝聴して、今、身辺で起きている様々なことを「忘己利他」の精神で乗り切ることにしたそうだ。
それはPIPPOにとって朗報であることを祈るばかりである。

そしてPIPPOは巣立っていく学生たちに2つの言葉を贈った。
1.今という時間は二度と戻ることはない。だから時間を大切に使ってほしい
2.社会に出るといろいろな人がいる。だから何事があっても自分をしっかり持って、前向きに突き進んでほしい
PIPPOも妻も、学校長を尊敬している。
彼の人徳は、この学校で教鞭をとっている教師陣、職員、学生をみているとよくわかる。
彼のような「人」になれるよう、PIPPOも精進していきたいと思う。
とても感動的な卒業式だった。
感動で、涙腺がゆるみっぱなしであった。
PIPPOにとって4度目の卒業式だ。
妻も同席しての参列だった。
妻は、学校長式辞を拝聴させていただくために、校長先生のご厚意で年に二度ほど(入学式と卒業式)お邪魔させていただいているのだ。
今年の心に沁みるお話は、「忘己利他(もうこりた)」についてだった。
「「もう懲りた」ではないですよ」とは校長談。
これは平安時代の僧、伝教大師最澄(767-822)の「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」というお言葉で、「自分のことは後にして、まず人に喜んでいただくことをする、それは仏さまの行いで、そこに幸せがあるのだ。」という、ありがたい説法。
「つまり我欲が先に立つような生活からは幸せは生まれないよ」ということを説いているのだそうです。
もうひとつのありがたいお言葉は、
「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。
よき人に近づけば覚えざるによき人となるなり」
これは孤雲懐奘禅師が鎌倉時代初期の禅僧、道元禅師の説法を記した『正法眼蔵随聞記』の中にある一文だ。
「霧のなかを歩いていると、気がつかないうちに衣がしめっている。
魅力的な人に親しんでいると、いつの間にか自分も高まり深まり魅力が香ってゆく」
妻はこのお話を拝聴して、今、身辺で起きている様々なことを「忘己利他」の精神で乗り切ることにしたそうだ。
それはPIPPOにとって朗報であることを祈るばかりである。

そしてPIPPOは巣立っていく学生たちに2つの言葉を贈った。
1.今という時間は二度と戻ることはない。だから時間を大切に使ってほしい
2.社会に出るといろいろな人がいる。だから何事があっても自分をしっかり持って、前向きに突き進んでほしい
PIPPOも妻も、学校長を尊敬している。
彼の人徳は、この学校で教鞭をとっている教師陣、職員、学生をみているとよくわかる。
彼のような「人」になれるよう、PIPPOも精進していきたいと思う。
とても感動的な卒業式だった。
感動で、涙腺がゆるみっぱなしであった。
Posted by pippo at 14:06│Comments(0)
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