2014年08月16日

『永遠の0』ロケ地 筑波海軍航空隊記念館 ②

建物は太平洋戦争当時のままの状態で残されていて、昨夜放送された終戦記念スペシャルドラマ2014『命ある限り戦え、そして生き抜くんだ』 の司令部としても使われていた。

『永遠の0』ロケ地 筑波海軍航空隊記念館 ②


展示ブースには零戦や当時の訓練の様子を記録した写真などが展示され、机なども当時のまま展示されている。

この零戦(零式艦上戦闘機)は、宮崎駿監督作品『風立ちぬ』に登場する実在した人物、堀越二郎氏(三菱内燃機製造(現在の三菱重工業))の設計によるものだ。そんな残骸となった零戦を眺めながら、PIPPOは物語の中と現実を行ったり来たりしていた。
『永遠の0』ロケ地 筑波海軍航空隊記念館 ②


「大和」は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦だ。
模型だが、その大きさが想像できる。
昭和20年4月7日14時22分に大和は米軍の魚雷によって横転、大爆発を起こして沈没した。乗組員は3000人以上に上るという・・・
『永遠の0』ロケ地 筑波海軍航空隊記念館 ②


写真右の機体の破片は、アメリカ第58機動部隊の旗艦エンタープライズに体当たりした富安さんが操縦していた零戦の残骸で、当時エンタープライズの乗組員だったノーマン・ザフト氏によって返還されたものだという。
『永遠の0』ロケ地 筑波海軍航空隊記念館 ②


写真左下の海兵による錨桜章が見事だ。
『永遠の0』ロケ地 筑波海軍航空隊記念館 ②


この「七つボタン」に憧れて入隊した若者もいたという・・・
『永遠の0』ロケ地 筑波海軍航空隊記念館 ②


展示されている机は、かつて霞ヶ浦海軍航空隊で使用されていたもので、机の脚にある刻印を見ると、その変遷を辿ることができる。
1934年(昭和9年)、霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊が開隊し、1938年(昭和13年)に筑波海軍航空隊として独立した際にこの地に移され、1945年(昭和20年)に筑波海軍航空隊が解隊されたあと茨城師範学校(茨城大学教育学部の前身)で使用され、現在、展示品として再びこの地に戻ってきたのだろう。
『永遠の0』ロケ地 筑波海軍航空隊記念館 ②


いよいよ『永遠の0』のロケセットが再現されているブースへ!(平成12年6月撮影当時)


Posted by pippo at 11:47│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
コメントフォーム
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。